ぱぱんだ日記

マンガ感想とライブ情報と雑記帳

義経と静御前

狐は「わあ、君たち、義経静御前みたいだねー」

って言うし、

 

龍は「お前と俺は夫婦だろ!それは決まってるの!お前は巫女で、俺と死ぬまで一緒なの!死んだらまた夫婦に戻るの!」って言うし、

 

うさぎは「わあー、大黒様に言っておいたから、両思いだねー」って言うし、

 

しまいにはマリアのペンダントヘッドが落ちて、「お前はみんなのお母さんだろ!お前が手を離したら、アキラさん死ぬぞ!」って言ってくるし、

 

たくさんの神様に祈ると、

このように、多方面からの意見が私に寄せられています。

だから神様が喧嘩するっていうのか?祈りを引き受けた神様たちの、思惑がバッティングする。

 

 

アキラさんも死なせるわけにはいかないのだ。糸一本で生命を繋げてるだけな気がする。

しかし麻輝さんもすでに闘病中かもしれん。

余計に、手を離すわけにはいかないのだ。一人にしてしまう。

私は全員のクマお母さんか…

こぐま病院の規模がでかくなってる…

 

 

私はマリア教会の、裏側から「アヴェ・マリア」の曲を聴いた事があるらしい。

黒色すみれのライブで聞いたとき、「これ、どこかで?聞いた事がある??教会に行って聞いた事はないのに?しかも人間としてではない??」

と思ったのだ。

それを聞いたのは、教会に存在しているけど、人間としてではないのかな?

 

祀られる側になると、あちこちの祈りの場所の向こう側を移動できるのかな?

隠れ切支丹の祈りの貝殻の模様の中から、

イタリアのマリア教会の向こう側から、

琥珀のマリア教会の向こう側から、

または(京都常照寺)の朱門を寄進した、寺の向こうから、

私は祈る人々の様子を見たことがある。祈りの気持ちを理解できた気がする。

 

あちこち神様として祀られているのは、誰かに祈りを向けられた存在の集合体で、私はその一部だったのかな??

エリザベス一世や、卑弥呼や、知里幸恵や、2代目吉野太夫や、またはアンネ・フランクか?もしれない。

通ってきたみんなの人生はバラバラなんだよな。

子供は産まなくても、全員が子供のまま死んだわけでもないみたいだし。